卯月歌会[令和四年]

依然として消滅しそうにないコロナ感染の中、ロシアのウクライナへの軍事侵攻は、国連
の介入も全く効力を持たず、いよいよ泥沼化しています。一部の人間の私欲によって、何
の罪もなく力を持たない国民を犠牲にしながら、ともすれば世界戦争へと発展しかねない
状況です。日本政府には的確な判断のもとに、しっかりと危機管理をしてほしいものです。

人類の発生当初、世界各地には20種程の原人が生息していたそうです。そしてアフリカ
に生まれた私たちホモサピエンスが、ヨーロッパ、アジア大陸へ進出し、海を渡ってアメ
リカ大陸、そして太平洋上の国々へ種を増やしていったのは、他の原人たちに比べて、よ
り欲望の強い性質を持つ人種だったからとか。その留まるところを知らない欲望によって
文明も文化も発展し、現代の高度社会が築き上げられた訳です。ですが、その欲望を制御
できず、殺戮を繰り返す人が絶えないのも現実なのです。

新青虹四月号巻頭の『氏郷慕情』は、日本の戦国時代を生きた蒲生氏郷に思いを馳せた、
金丸同人の圧巻の15首。織田信長に人質として差し出された氏郷は、14歳の初陣後そ
の才能を見込まれ、信長の次女を娶って近江日野城主となる。信長の死後は豊臣秀吉に仕
え、北伊勢諸城の攻略に尽力し松坂城を築く。綿密な計画のもとに作りあげた城下町は、
今も大切に守り継がれている。その後も次々と戦功を立て、陸奥の会津に91万石という
大領を与えられ黒川城を築く。蒲生流に改築され七層楼の天守を持つこの城は、氏郷の幼
名にちなみ鶴ヶ城とも呼ばれた。明治元年の戊辰戦争で会津藩士5000人が籠城した舞
台である。文武に秀でた氏郷は茶の湯にも深く、利休七哲の筆頭と言われ、利休の死後、秀吉に嘆願して子の小庵を手元で庇護している。また和歌を三条西実枝に学び、能楽にも長けた。しかし度重なる戦に病を得、惜しくも40歳の若さで生涯を閉じる。

・かぎりあれば吹かねど花は散るものを心みじかの春の山風

自己の早逝を嘆いた辞世の歌からは、戦乱の中に己の短い命を費した氏郷のやるせなさが
伝わってきます。戦争によって得られる心の平安など無いのです。

[四月号誌上より]

・利休より継ぎし作法の一服に氏郷いくさの修羅や忘れむ(金丸満智子)

・風のなき夕空広く思はれて初ドライブは海べへ向ふ(井口慎子)

・木枯しのなかを見知らぬ少女来て重荷を負へる吾に寄り添ふ(中川りゅう)

・梅の木の節こゆる風やはらかく肌に触れては春の息吹す(山本浩子)

・姉まねて意気揚々と雪玉を作る幼子大きさ競ひ(後藤まゆみ)

・日に氷る甕を覗きて美しく封じられたるもの見むとせり(中世古悦子)

・冬の夜をさめて又見る夢のそこ雪ふりつくせ春になるまで(水本協一)

 

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