長月歌会[令和三年]

9月当初より新型コロナの爆発的感染のため、三重県にも出されていた緊急事態宣言は、月末をもってようやく解除となりました。とは言っても、湿原を歩くように、またすぐに足を取られるのではないか、という疑念を抱かれる方も多いのではないでしょうか?!当分の間は気を緩めず暮らすことが肝要です!

私はこのひと月、予定の仕事や行事がすべてキャンセルとなり、その開放感の中、秋の草花の手入れをしたり、蒔いた冬野菜の愛らしい芽に癒されたり、思わぬ休養となりました。あまり緩み過ぎたせいか、従来の日常を取り戻すのにひと苦労です。

歌を詠むのはまず写実からと言いますが、そこには詠む人の心が仄めかされていなければ魅力ある歌とは言えないでしょう。反対に気持ちをあからさまに表現しては、返って心に響かないものです。

 

心臓の手術を無事に終えられ、リハビリ中の水本編集長のお歌『手術台の歌』より

・暮れてゆく春のみなとはしらねども我が心臓の手術台あり

・ほととぎす心に啼かせ心臓を載する手術の台高からず

・七十の孤心ゆきつく処とも見えず手術の台の簡素は

どれも難解なお歌ですが、手術台にのせられ執刀を待つ患者の複雑な心模様が、独特な描写によって表現され、引き込まれていきます。

 

[9月号誌上より]

・人逝きし庭に戻らぬ日々慕ふあぢさゐ日毎いろ深めつつ(金丸満智子)

・一本づつ葉に触れながら梅雨はれし庭を巡りぬ風のみ親し(井口慎子)

・ハチ公の物語見て癒さるるコーヒー苦き初夏の夜あり(山本浩子)

・いくとせか置き忘れゐし風鈴の南部をしのぶ音色にたちぬ(中川りゅう)

・空隠すごと木々のびし森おくにトトロの歌を聞く心地せり(後藤まゆみ)

・笹百合に出逢ふを信じ乙女子の恋心もて藪へ分け入る(中世古悦子)

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