霜月歌会【令和二年】

不要不急の禁足を強いられ、何もしないまま気がつけばもう師走です!
コロナ感染の第三波が勢いづき、せめて人出の少ないうちにと思っていた久しぶりの古
寺巡りも、断念せざるをえないようです。

まだ学生の頃、長期の休みには何かに駆り立てられるように、京都、奈良のお寺を巡るひ
とり旅をしました。法隆寺の門をくぐれば、歴史を重ねた木造の伽藍の放つ圧倒的なパワ
ーに抱かれ、心身ともに充電されていくのを実感しました。中宮寺の弥勒菩薩像はまだ古
いお堂にいらして何の隔てもなく、間近に正座しては伏し目の奥の慈しみ深い眼差しに、
しばし身を委ねました。又、興福寺の阿修羅像は何故かとても気になる存在でした。当時
大学の友人に、君は興福寺の阿修羅像に似ていると言われたことがあるのです。きっとい
つも眉間にしわを寄せて物憂げな表情をしていたからでしょう。この阿修羅像がどうして、
少年の顔をしてあの表情を持つのか何も知らないまま、自分を鏡に見るような錯覚に陥っ
ていたようです。ともあれ阿修羅像が今のように表舞台に立ち、愛され、研究されるずっ
と以前のことです。

新青虹11月号に紹介されている、会津八一の「阿修羅の像に」と題された二首のお歌に懐
かしく当時を思い出しました。

・ゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらし

・けふもまたいくたりたちてなげきけむあじゅらがまゆのあさきひかげに

コロナ禍ではありますが、歌会はいつもの様に発言が飛び交い、楽しい時間となりました。
人との交わりを極力避ける日々ですので、この時間がより大切なものに思われます。

<11月号誌上より>

・村の娘の白靴かろくかけゆきし後の木橋の夏ひそかなり(金丸満智子)

・あたらしき悩みいつしか忘れつつ遠き日の悔思ふ秋なり(井口慎子)

・空調の音のきこゆる炎天に歌つむぎ出すしじま味はふ(山本浩子)

・七十路に余る年経し絵具箱しぼるチュウブに指の跡あり(中川りゅう)

・帰りゆく息子のしぐさ亡き夫に似ると偲ばむ夏のゆふべに(中川寿子)

・言の葉の紡げずにゐる歯がゆさを酷暑のゆゑと吾なぐさむる(児島靖子)

・足音にからだくねらせ隠れ入る蛇に幼なの後退りせり(後藤まゆみ)

・真夏なる陽射しの落つる濃き陰の奥へと青きやせ蛙入る(中世古悦子)

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