世の中は新型コロナウイルスによる肺炎の感染で不安が広がり、鈴鹿はまだ安心のようですが、外出はできる限り控えるのが得策のようです。外出時は必ずマスクを着用しますが、電車の中、銀行や店の売り場など、皆マスク姿なのはやはり異様です。早く良い手立てが見つかり、流行のおさまるのを祈るばかりです。
歌は一気に詠み上げるのも良いですが、途中ふっと息をつける箇所を作りなさいと言われます。思いが強ければ強いほど、言いたい事を一首に盛り込みたいと気負って、あれもこれもで結局何が主題なのかが理解できないお歌を多々見うけます。また、原因結果でつじつまの合うお歌はわかり易くうまくできているようですが、それは説明にすぎず余韻は生まれません。
二月号の川口代表の「春風」の中の一首
・世の春の眉あきらけく山々の稜線いく重明るみにけり
一読ではわかりにくいお歌ですが、春も真近、ちょっと顔を上げてみると、山の稜線が明るんで幾重にも重なっている様が手にとるようだ。というかんじでしょうか?じんわりと春めいてきた喜びが伝わります。こんなお歌を詠んでみたいものです。
二月号誌上より
・永らへしくろがね黐の葉しげりも秋の記憶と古家しぐるる(金丸満智子)
・海山ゆ寄するにあらず朝空をおほひにはかに秋の雲湧く(井口慎子)
・志貴皇子おもかげに立つ境内に冬のさくらの夕かげに浮く(中川りゅう)
・山茶花の枝に差す光やはらかく剪定終へし庭の朝なり(山本浩子)
・仇討ちの鍵屋の辻の茶屋あたり昨夜の冷えに紅葉濃くすや(児嶋靖子)
・魂のラガー精神ゴールへとつなぎにつなぐ八十分なり(後藤まゆみ)
・風寒きバス乗り降りに添へられし見知らぬ人の手の温かく(中川寿子)
・行き違ふこと多かりき母逝ける小春の空はうろこ雲せり(中世古悦子)
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