令和元年 文月歌会

例年よりも梅雨が長引き、大過なく台風をやり過ごしたと人心地をついたとたん猛暑日続きで、体調管理に戸惑っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

歌誌八月号掲載の三重支部が所属する近畿支社の同人、中城さと子さん「清女追憶」のお歌より

平安時代の中期、一条天皇にはお二人の皇后がおみえでした。天皇が心より愛してやまなかったのは、父藤原道長の権勢によって後に座を得た彰子よりも、抜群の容姿と学識を持った定子の方です。その定子に仕えたのが枕草子の筆者清少納言、彰子に仕えたのが源氏物語の筆者紫式部であることは皆様もよくご存じのことと思います。ところが父である道隆(道長の兄)が早くに亡くなり、後立を失った定子の身の上に悲運が重なります。四人目の御子のお産の時には十分な環境が整わず、産後すぐに亡くなってしまいました。平安文学の研究者である中城さんは、この定子の人柄にとても惹かれるとのこと。

・暮れのあさ宮逝きたまふ後産をなし切る力残らぬままに

・冥土への旅路に心寂しきと残るみ歌の帳台にあり

・雲とならず葉に置く露となり見守る皇子らに心残し逝かるる

定子の悲運に深く心を寄せられたお歌です。

 

八月号より皆様のお歌を一首ずつ

・伊勢もめん商ふ店の白抜きの紺地のれんに春風ゆかす(金丸満智子)

・青かへでさるすべりの葉も光らせて五月風すぐ清水坂を(井口慎子)

・神楽観し母の感動覚めやらぬ春の夜風の涼しさ言ひつ(山本浩子)

・かの庭の主逝きしも密やかに在りし日のごと白椿咲く(中川りゅう)

・老若に埋めつくされし五条坂一すぢ奥の茶屋にすずしむ(中世古悦子)

コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。